4年目の新学期を迎えて  インターネット環境

札幌サドベリー代表の細川美穂です。

スクールは4年目の新学期を迎えました。新たに子どもが増え11名でのスタートです。

当スクールは3年前、前任者から引き継ぐ形でスタートしました。私はいち保護者という立場で、資金もコネも校舎もなく、サドベリースクールとして本当にゼロからの始まりでしたが、まずは毎日集まることを頑張り、仕事を掛け持ちしているスタッフのシフトを調整し、私自身も職場に理解してもらいながら、なんとかやってこれました。

スタッフ講師陣、関係各位の皆様に心から感謝申し上げます。運営に協力してくださる保護者の皆様も、いつも本当にありがとうございます。

近況として、この春、一番の懸案事項だった「インターネット環境」がやっとなんとかなりそうです。

ありがたいことに、保護者の方の紹介でパソコンの基本操作とネットリテラシーについて教えてくださる専門家とご縁がつながりました。ボストンのサドベリーバレースクールでやっている「PC使用の免許制度」を導入できることになります。

パソコンを心待ちにしていた9歳以上の子どもたち全員が講義を受講することになっています。

あと、昨年度のことですが、英語を母国語とする兄妹が入学したことがきっかけで、スクールの子どもたちから「なにを言っているのかわからないので英語の勉強をしたい」と要望がきています。

要望がきたときが勉強するとき。さっそく英会話のクラスを作らないといけません。

あと、「今年は人数が増えたので運動会ができそうだ」とか、「音楽とお笑いの発表会をやるならネタは決まっている」とか、「キャンプは涼しいうちにやりたい」など、子どもたちと大人の間で様々な話が飛び交っています。

4年目も子どもたちの笑顔と共に、私自身も楽しんでスクール運営をやっていきたいと思います。今後も応援のほど、どうぞよろしくお願いいたします。

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個性あふれる手作りお面で集合写真

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親と子の心の調律コラム 続き

親と子の心の調律コラム、3

子どもが反抗的になるとき、それは「こんなに反抗していても僕を(私を)愛してくれますか?」のサインです。受け止めてあげてください。でも、愛していることと、なんでも自由がまかり通ることとは違います。年齢に応じて対応が変わってきますが、大切なのは精神的自立です。子どもを愛しているからこそ、言うことを聞きすぎない、毅然とした親の態度が必要です。

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私(細川)が札幌サドベリースクールを引き継ぐと決めたとき、アメリカ発祥のサドベリー教育の理念を日本という国民性に置き換えて、さて、それは本当に機能するのか?という疑問がありました。アメリカと日本ではそもそもの思想が全然違うのです。自分の意見をはっきり言えないのが日本人なのです。

サドベリー教育は、カリキュラムがない、クラスがない、テストがない、通知表がない、子どもは自分のやりたいことを自分のやりたいタイミングで自主性をもってやる、なにかを強要されることはない、大人と子どもは対等でありそこに上下関係はない、話し合いは子ども主体でおこなわれる、などが大きな特徴です。

そこで私はスクールを運営するにあたり、自由を重んじる幼稚園と、自由な子育てをモットーとするコミュニティを数カ所訪問することにしました。そこでは確かに、子どもたちは自然児のように自由に過ごしているのですが、ケンカがあり、物の取り合いがあり、仲間外れがあり、わがままと反抗があり、人のことはおかまいなしな空間がありました。子どもの耳に大人の話は届かず、注意やお願いも聞いてもらえず、自分の好きなことを好き勝手やっているという雰囲気でした。

子どもの年齢が低いということもあるとは思いますが、個人の自由という名のもとに、全体として不調和をもたらしているようにみえました。なぜ自由な個人の集まりが、まるでサバイバルのようにみえるのか。自由なのに反抗、敵対っておかしいじゃないか。

私は子どもたちのこのような行動が好きになれませんでした。自由とはどういうことなのだろう?好き勝手やることと、自主性を重んじることと、なにか違うのではないだろうか?数々の疑問がわいてきて、自由な学びとはどういうことなのか、自分と向き合う時間が必要でした。

私は数ヶ月、考えに考え、はたと気づきました。これは大人の心理的な反映なのだ。

自由をよしとする大人の心の中に「子育ては自由でなければならない」→「自分がそうしてもらえず悲しかったから」という感情的抑圧があるから、子どものいうことを聞くばかりになってしまうのだ。

マナーやルールが必要な場面でも、「自分がそうされて嫌だった過去」があるから、毅然とした態度で注意ができないのだ。それは「自由でなければならない(なぜなら私が悲しかったから)」という、とても不自由な心ではないだろうか。

ただ自由をうたうだけでは、スクールの運営はうまくいかないだろうと思いました。まず大人の心が本当に自由でなければいけない。自由かつ調和。自分も相手も自由で安全であること。どうしたら日本流の自由教育ができるだろう。私の挑戦がはじまりました。

札幌サドベリー再スタートから1年半ほどたち、いま、私の考えは間違っていなかったと確信しております。

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私はモンゴルで子育てをした経験がありますので、モンゴル流の子育てをすると反抗期がないまま大人になることを知っています。抑圧のないところに反抗もないのです。

心理学でいうと、9歳くらいから思春期にかけての子どもが反抗するのは、「自分の世界が広がることへの恐怖」と「相手への強い甘え」です。なにをしても自分を好きでいてくれる、この人はなんでも言うことを聞いてくれると認識されているということになります。つまり下に見られているということです。尊敬できる人、理解のある人、尊厳のある人、毅然とした人に、子どもは反抗できないものです。

怖くてものが言えないというのも問題ですが、下に見られて反抗されるというのも、問題が多いのです。反抗とは一種の「そうじゃない!私をちゃんとわかって!」という心の叫びなのですから、わかって認めてもらえたなら反抗する必要はないわけです。

ですから、子どもの心の叫びをじゅうぶんわかってあげればいいのです。反抗する必要がないくらいまで、しっかり受け入れ寄り添うことなのです。

このときに、あなたの反抗を受け入れることと、なんでも自由がまかり通ることは違うのだと、大人は毅然とした態度でありたいと思います。反抗からくるわがままの影には「私をわかって」があるのですから、お菓子やゲームなど、物質的なもので満たされるものではないからです。

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札幌サドベリースクールに入学してきた児童の中には、何年も不登校で家に引きこもっていた子もいます。その子を観察していると、まず環境に馴染むまで3ヶ月、そのあと自分の意思表示をしてくるまでだいたい半年くらい。

我慢してきたものが反抗として発露し、友人関係で問題を起こし、大人の丁寧な関わりの中でいくつもの内なる挑戦をし、そのあと「素直さ」が顔を出します。すると自由な環境の中で調和の取れた自主性が出てきます。

私は思うのですが、子どもの才能を伸ばすには、1、素直になる力、2、挑戦する力、3、継続していく力、を内側から育む必要があります。

いくら才能があっても、学びの場に安心と安全がなければ、つねにサバイバル環境に身を置くということになり、本来の「素直な心」が出てきません。自分がその環境に受け入れられていることが絶対的な土台です。自分はわかってもらえているという安心感です。

スクールに見学にくる方のなかには、子どもの反抗にどう対応していいのかわからない、子どもの好きなように何時間もゲームをさせておいている、子どもの要求に振り回され予定通り進まない、などの親御さんを多く見かけます。

大人は、子どもの才能を育むことをサポートするのだという威厳をもって、子どもと対等でありたいと思います。いいなり、反抗、好き勝手、お互いにストレスを感じる関係は、たとえ親子であっても心と体の健康を損ないかねません。

そういうときは、「子どもに何をするか」から「子どもにとって自分がどうあるか」に意識を変えてみていただきたいと思います。

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札幌サドベリースクールでは見学と相談に対応しております。

◆見学
親子で3000円(2時間程度)

学費、給食システム、自由時間の過ごし方など普段のスクールの雰囲気と、子どもたちの様子をご覧いただけます。

◆療育、発達、不登校の相談
15000円(1時間〜2時間程度)

親と子の心の調律コラムを元に、いま子どもがどのような状況なのか丁寧にお話しを伺い、場合によって親御さん向けにアドバイス、カウンセリング、心理セラピーなどを提供いたします。子どもの心を理解するためにも、まずは、自分の心の内を安心して話し、まるごと受け入れてもらうという経験をしていただきたいと思います。

◆ お申し込み、お問い合わせは

「お問い合わせフォーム」

もしくは

❇︎代表細川のメールアドレス
sudbury_school-hosokawa@yahoo.co.jp

からお願いいたします。

親と子の心の調律コラム

この記事は教育相談の続きです。コラム1はそちらをご覧下さい。

親と子の心の調律コラム、2

物心がついてきたころの子どもは親に心配をかけまいと頑張ります。特に長男長女は親基準のいい子でいようとする傾向が強いです。もし子どもが不登校になったとき、いい子でいることの我慢が限界にきているのかもしれません。悪い子でも、できなくても、あなたのことが大好きなんだと伝えてください。

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子どもが学校に行きたくないと言ってきたとき、考えられる原因はたくさんありますが、物心がついてきた子どもが不登校になったとき、親基準のいい子でいることに疲れているかもしれないと、想像することは大切です。

まずは心に寄り添って、安心できる空間でその子の存在そのものを十分に受容してあげることがなによりの処方だと私は考えています。

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これまで親に言われてきた「正しさ」
これをやっていれば大丈夫だという基準が、学校では通用しないとき、子どもはどうしていいかわからなくなるでしょう。

そもそも日本人は、その自我をつくりあげていくとき、西洋人とは異なり、「自分を他の存在の中に隠し、他を受け入れつつ、なおかつ、自分の存在を無くしてしまわない」という複雑な過程を経ると言われています。

自分という存在が「人との関係の意識」の中で作られていくということです。

そのため、成長したときに、自分の意見をはっきり伝えることが難しく、他に対する過剰な優先が起こりがちです。心が折れる出来事も、他に対する過剰な優先が原因であることがほとんどです。

想像してみていただきたいのですが、自分がとても好きでやっていることを、誰かに「それが嫌いだ」と言われたらどうでしょうか。

それは単なる相手の意見であり、それぞれの好みの問題だと、心静かに受け取れるでしょうか。

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たとえば私は、先日、自分の考えをこんな形で発信しました。

私の好きな食べ物
生ガキと活ほっき

嫌いな食べ物
あんことシャコ

食べ物の好き嫌いは人それぞれですよね。
私の目の前で、誰かがあんこたっぷりのたい焼きを食べていても、「私はたい焼きが嫌いだ。あなたはそれが好きなんだね」でOKですね。

私がたい焼き嫌いでも、たい焼きを食べている相手を嫌いなわけじゃないですから。

では、まいりましょう。

私の好きなことは
心の調律と、リーダーという役割と、コンサルです。

私の嫌いなことは
教えをこう者を依存させる指導者と、意識高いとか波動とか言霊とかすべては愛〜といってちっとも行動しない人のありようと、感情がざわざわしているのに無理にポジティブシンキングな人の言葉と、言葉と行動がチグハグな人との表面的な付き合いです。

でも、私の目の前で、それらをされても「あなたはそれが好きなんだね」です。

私がそれを嫌いでも、それをしている相手を嫌いなわけじゃないですから。

だから、
私はそれが嫌いだってはっきり言いますけど。返事は「だって私はこれが好きなんだもーん」でいいわけです。

私はたい焼きを食べません。
なぜなら嫌いだから。

私はそれをしません。
なぜなら嫌いだから。

でも私が嫌いなことをしている相手を、否定しているわけでも、非難しているわけでも、私好みに変えようとしているわけでも、ないわけです。

ですが、相手を抜きにして自分というものを表現すると、それをされた相手の心が傷つくということがままあります。

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「相手との距離感」を学んでいくことは、ぜひとも小さいころから育みたい能力です。それには、相手との距離感を体得している大人のサポートが欠かせません。

地元の小学校に行けなくなり、札幌サドベリースクールに来ることになった子どもを観察していると、大人のサポートの重要性を痛感します。

安全で自由な環境で、ここは安心なところだとわかると、子どもは言葉や、態度で、これまでのいろんなことを表現してくれます。

言葉ですと、主に自分より年下の子に言うことが多いのですが、こんな感じです。

「人の話を聞くときはまっすぐに座って聞かないといけないんだよ」

「靴を泥だらけにしたらお母さんに迷惑なんだよ」

「おかわりをするときは全部食べてからじゃないといけないんだよ」

等です。

これはきっと親基準の「いい子」ですね。
自分で気をつけているからこそ、それをしていない子が気になるし、注意したくなるのでしょう。でも相手は相手の基準があるのですから、こういう出来事を通して自分と相手は違うのだという距離感を学んでいくのだろうと思います。

このときに、冷静な大人のサポートが入ると素晴らしいです。

「あなたは人の話を聞くときにまっすぐに座って聞くことが大切だと思っているし、それが好きなんだね。でもこの子はそうじゃないかもしれないね」

というような関わりです。

他には
「うるさい、おまえなんて死ね」
「じゃますんな、ころすぞ」
「あんたのことはみんなが嫌いだ」

など、ちょっと問題だと感じる発言を耳にしたときにも、大人がサポートに入りたい場面です。

「死ね、ころす」という言葉を聞くのはとても悲しいのだ。命はすごく大切で、あなたも、この子も、お母さんのお腹で大切に大切にされて生まれてきたのだと、伝えたいと思います。

「あんたのことはみんなが嫌いだ」という言葉には、毅然とした態度ではっきり問いかけます。

みんなって誰だろう?何人がそう言っているのだろう?あなたと他に誰と誰?

そのあとで、「それをされて私は嫌だった」というのと、「その行為が私は嫌いだ」というのと、「相手が嫌いだ」というのは別のことなんだよ、と丁寧に説明します。

札幌サドベリーの特徴として、スタッフ講師陣みんなが、このような関わりができるということがあります。

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子育ては自立へのサポートです。
社会に出て適切な「相手との距離感」を持てるようになるために、「自分とは何者か」「自分らしさとは何か」が重要であることは間違いありません。

やっている行為が嫌いだと言われても、自分を否定されているわけではないのだ。もしあなたが悪い子と言われても、立派にできなくても、あなたという命が大好きなんだと、伝えていただきたいと思います。

そうしてもらえず育って親になった方は、自分の子どもに「なにもできなくてもあなたという命が大好きなんだよ」と伝えるのが難しいかもしれません。

だからこそ、まずは親御さんの心のサポートが大切なんだと、私は信じています。

親と子の心の調律コラム3に続きます。
次は「子どもの反抗」についてまとめようと思っています。

メリークリスマス

札幌サドベリースクールは保護者の方とのクリスマス会を終え、冬休みにはいりました。

この2学期も子どもたちはいろいろなことに挑戦しました。

習字、デッサン、英語、料理、ピアノ、歌、エレキギター、お笑い、ダンス、ボードゲーム、そして大人もかなわないトランプ「大富豪」と、数ヶ月かけて作っていた脱出ゲームの部屋。

本当にみんなスクールライフを満喫していました。お見事!と思わず言ってしまうほどに。

遊びも、作ることも、描くことも、すべてが学び。勉強は点数を取ることだけじゃない。まず大切なのは「自分の好きなことがわかっている」ことではないかと思います。そのために点数を取る勉強が必要だと子ども自身が理解したら、それが勉強をするタイミングです。

自分の好きなことがわかっている子どもと、好きなことを我慢しないでいい環境(スクール)であること。

あなたたちの「やりたい!」を手伝うために私たちがいる。そうできることの幸せを感じています。

今後の課題は「やるからにはちゃんとやる」ことかな。簡単になげださない。自由には責任があることも学んでいってほしいです。

挑戦して、失敗して、くじけて、ぶつかって、なまけて、さぼって、友達に叱咤されて、またやってみる。そんな毎日の積み重ねが大事ですね。

3学期もみんなの元気な笑顔に会えますように。

みなさま良いお年をお迎えください。

札幌サドベリースクール代表  細川美穂

18歳のキミへ

18歳のキミへ

代表の細川美穂です。
この文章は1年ほど前、「これから日本を担う18歳のみなさんへのメッセージ」という題目で新聞の取材を受けたときにまとめたものです。ここにご紹介します。

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私が教育を受ける権利について考えるときに思うことがあります。

まず、国民が教育を受ける権利を侵害されないという自由権的側面において、あたかも教育を受ける権利を侵害されているかのような結果をもたらしてしまっている現状に対してです。

国民が適切な環境で教育を受けようと欲する時に、国から与えられた義務教育以外の教育の場を選択した、もしくは選択せざるを得なかった子供たちに対して、何か国からサポートはあるでしょうか?

残念ですが現状では国から与えられた義務教育という枠からはみ出した子供たちは社会的にも、補助金等による金銭的なサポートはないというのが本当のところです。

選択権を非常に行使しにくい、したとしても困難さを持ちやすい。そのような現状です。

金銭面でのサポートの他に卒業資格なども認められず、在学中は義務教育の学校において不登校扱いになるということで、進学の際に、あたかも社会的なペナルティを与えられたかのような結果になっているのです。

海外ではオルタナティヴスクールを選択することやホームスクーリングで学んだとしても一定の学力を持つならば、通常の学校で学んだ子供との格差はなく、教育の多様性を選択しやすい地域も多くあります。

学ぶ意志があり、一定の学力があるならそこは平等に扱われています。そのような社会もこの地球上には存在しているのです。

日本も教育の現状を踏まえ未来を担う子どもたちのために、憲法で守られている教育を受ける権利をどんな子供にも保証して欲しいと私は強く願います。

また、国家に対して教育制度と施設を整え適切な教育の場を要求する権利、という社会的側面についてですが、こちらも先ほど申しました自由的側面と同じように義務教育以外の選択をした、もしくは選択せざるを得なかった子供たちに対してその様な場は十分に提供されておらず、それらの教育の多様性を希む子供たちの社会的側面はその運営する団体や親などの個人の負担によって成り立っています。

現状ではそれらの運営や存続は非常に危ういものだといって良いでしょう。

私たちには学習する権利が有り、どのように学ぶのかも自ら選択して良いのではないでしょうか?

私たち日本の国の教育はどのように学ぶのか、というその多様性をもっともっと認めていくべきなのではないでしょうか?私はそう思います。

そしてそれは憲法で保証された権利でもあります。ですがその反面、私たちのようなオルタナティヴスクールを運営しているものが、現状を嘆いたり文句ばかりをいったところで生産性は上がりません。求めているばかりでは進んでいかないのだと経験的に知っています。

なぜなら今現在子供たちはここにいて、教育制度が整うまで待つ時間はないのです。教育はまさに今ここに必要とされています。そうであるならば、国民の一人として、教育の多様性を提供しうるものとして、1つでも少しでもできることをしていくしかないのです。私はそのような思いでスクールを運営しています。

これから日本を担う18歳の皆さんにメッセージがあります。
この国日本は言わずもがな素晴らしい国です。そのような誇りを持ってください。そして悩んだとき困ったときには広い世界を見て欲しいと思います。

自分の目でこの地球の様々な場所に行ってみてください。
この世にはいろいろな文化があり、多様な価値観や、ルールが存在しているのです。ひとつのルールに縛られないでください。

広い世界を自分の目で見て自分の心で感じ、そして自分の頭で考えてください。

そして自分を、また日本という国を俯瞰して見てください。その上で自分の人生を生きて欲しいと私は強く思います。

常識や、空気を読むこと、既成概念や、お決まりのルールに縛られる必要はないのです。自分の心が何を望むのかを知ってください。そのためにも広い世界を見て欲しいのです。

勇気を持って心に従ってください。孤独を恐れてはいけないのです。自分の信じた道を歩んで行くことが何よりも大切なことです。

日本の将来を担う皆さん、自分の頭で考えられる大人になり、次世代の子供たち、つまりあなたたちの子供を教育するときに是非教育について、考えてみてください。

より良い国を将来の子供たちに残していけるように自分は何ができるかを考えてみてください。自分の心を信じてあなたの人生を歩んで行って欲しいと思います。

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「私の子供を教育するときに、自分はなにができるのか?」
まさにこれが札幌サドベリーを運営する私の思いです。

1つでも少しでも、いまできることを。

この思いに賛同していただけるみなさまのご支援、ご協力を心よりお願い申し上げます。

札幌サドベリースクール代表
細川美穂

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【アルバム】わくわく食べる幸せ ご飯とおやつの記録

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イタリア そして子供給食

 子供給食
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ひょんなことから始まった子供給食とイタリアとの関係、子供達の数々の学びについてシェアしたいと思います。

我がスクールの隠れスターである給食担当そうちゃん。

彼は調理栄養に通じているだけでなく、本来大学院でトマト栽培やブドウ醸造を学ぶ院生でもあります。

そんな彼が研究の一環としてワイン醸造を学びにイタリアに留学に行ってしまう事になりました。

期間は9月の終わりから12月半ば。およそ3ヶ月間のお留守番といったところです。

さて、これから給食はどうなるのでしょう。毎日お弁当の可能性も出てきました。そこでさっそく話し合いが始まりました。そうちゃんと子供達の話し合いをはじめ、どうしたいかをシェアし合う子供ミーティングをいったい何度行った事でしょう。

度重なる話し合いの結果、歌とピアノ指導のゆかちゃん先生の指導のもとにスタッフ給食がない週に何度かは子供達が給食を作るということになりました。 

話し合いのなかでは、お弁当でも良いよ。

給食があるならやっぱり食べたい。

絶対給食がいい!毎日弁当はやだ。 

などなど、

色々な意見があった様ですが、作る人には賃金が払われる事で子供にしてはなかなかのお小遣いにもなり、やってみようかというきっかけのひとつになったようです。

主に女の子達のやってみたいという気持ち、やらなきゃ給食が無いなら自分がやらないとという気持ちなどがエンジンとなり、彼女達を主役として子供給食は賑やかにスタートしました。

手順としては、ゆかちゃん先生とメニューを決め、材料を書き出します。作り方を教わりながら調理をし、盛り付けて配ります。

お皿や調理器具の後片付けをして最後に払われた給食費と材料代の計算をし、帳簿をつけて終了。

実際子供達のはたらきぶりは素晴らしいものでした。ある子は朝来てすぐに玄米を精米し研いで炊くという一連の流れをサラリとこなし、もう1人の子は手順ノートを見ながら材料を切り、こねたり混ぜたり、フライパンで焼いたり、作り置きしておいた重ね煮を使いスープを作り、と手際よく作業していました。

分からない時はスタッフに聞きながら、世間話などをしながら、玉ねぎを切るときは涙を流して、小さい失敗は笑い飛ばし、困ったら子供達同士でカバーし合い、よく自分達の頭で考え動いていたと思います。

とにかくやってみよう!駄目だった所は明日気をつければいい!という彼らの姿勢を、私はとてもたくましく感じました。

さて、そうしてスタートした子供給食ですが、すぐに暗雲が立ち込めて来ました。

給食を作らなければならないということ、それ自体に縛られたような気持ちが生まれ、そのうえで働きぶりに対する違いや賃金の割り当て方法に不公平感を感じはじめたようです。

その点についてまた何度か話し合いを持ち、自分が納得する形でやり方を考え直し、また新たなリスタートになりました。

とにかく意見があれば溜めずになるべく速やかに話し合うのがサドベリースクールのモットーです。

それは喧嘩や言い争いではなくどうすれば望む方向に行けるかを調整する為のものです。

心の不安や不満を表明できず我慢していると怒りや無気力や妬みの気持ちなどが発生してしまう。

時間の経過と共にそれらは発酵し増殖し何が本来の原因だったのかすらわからないまでに変質してしまい心を蝕んでいく傾向が高い。

しかし我慢しないで話し合い、吐きだす事で一旦リセットされ、前に進む知恵やエネルギーが湧いてきます。

彼らは手持ちのカードを全てさらけ出します。

みんなの前で。時にはスタッフの誰かにそっと。

その様な事を繰り返すうちに、

何度でもやり直しすればいい。だからとりあえず今は完璧じゃなくてもいい。やってみよう!

そんな風に失敗を恐れない雰囲気が子供達の心に確かに生まれていると私は感じています。

それにしても給食作りでは様々な能力が鍛えられます。

仕上がりをイメージして逆算し、何をどのくらい必要かを決める力。

調理ではフライパンの中の匂いを嗅ぎ、よく状態を見て、手を素早く動かしますし、油の音やお湯の中の音に耳をすませます。

量を考えるときや、何人に分けて盛り付けるかを考える時は段取り力や算数の力も使います。

材料と給食費の収支をつけるには計算力が必要です。

それは五感の訓練でもあり、様々な能力開発に間違いなくひと役買っています。

生きる力を育てる良い学びになっている事でしょう。

また、働く事の意味や意義を彼らなりに感じているようです。

そこには喜びも苦労もあり、工夫や成長あり、働く事に対して自分なりの芯が作られているなと思います。

子供給食の道はまだ半ば。これからも色々な失敗や改善を繰り返し進んで行く事でしょう。

たくましく自分達で考え動いて行く姿に私は彼らの成長や未来の姿を感じています。

この経験から得たものがこれからの人生を生きて行く上できっと彼らの力になってくれると私たちは信じています。

【困った子への対応について】

札幌サドベリー代表の細川美穂です。


こんな質問が届きましたのでご紹介します。

「たった一人でも予測不可能な行動をする子がいると、全員に影響をすると思います。また、不登校の子供の中には、問題行動ゆえに不登校という子もいると思います。そういうタイプの子は、うちの子が通う学校では、受け入れない姿勢、もしくは、取り組むならとことん取り組む姿勢であってほしいと思うのですが、現状では、どうでしょうか?」

札幌サドベリースクールは「とことん取り組む姿勢」です!

もっと言えば「問題行動の裏にあるものにとことん取り組むためにスタッフ皆で情報を共有し、対応策を話し合い、必要であればその子の家庭に関わっていくこともします」です。

札幌サドベリーの考え方の大前提として

「私たちは既存のスクールとは違った理念があります。どんな子でも入ってきたらとことんまるごと受け入れます。子どもに困った症状がでているときは家庭に関わります。スクールと保護者お互いの努力と協力が欠かせません。」

があります。

サドベリー教育は子どもの自主性を大切にしますが、なんでもかんでも自由がまかり通るわけではありません。そこには小さくとも人間関係があるからです。

自由には責任が伴うもので、わがままとは違います。話しを聞き、意見を言い、交渉も必要になります。自分たちのルールが決まったら守らなければいけません。

子どもの育ちたい方向に伸びていくそのありのままを受容することと、社会生活に必要な規則と規律を身につける関わり方のバランスなんだろうと私は考えます。

ですから私たちは、このような場を乱す子(たとえばキレる、いじめる、暴力傾向など)にとことん取り組む姿勢です。「素直さ」が出てくる前にはひと暴れあるものですから、ゆるぎなく毅然と構えています。家庭でもそうしてもらいたいのです。

【問題行動の裏にあるものにとことん取り組むためにスタッフ皆で情報を共有し、対応策を話し合い、必要であればその子の家庭に関わっていくこともします】

いまの公教育をながめていると、「規則と規律」が優位になっているように思うのですが、いかがでしょうか。

だから思春期頃に、おきまりの反抗期がやってくるのではないか?とモンゴルで子育てをした経験からそんなふうに観察しています。

また、その対極ともいえる自然派子育てについても思うところがあります。「ありのまま受容することこそ最善」が優位になりすぎていて、忍耐力、責任感、必要な社会性が育まれていないように私には見えるのですが、どうでしょうか。

いずれにせよ、一概には言えず、みんなにすべて良いというものもなく、バランスというのは難しいものですね。

いま札幌サドベリーにいる子どもたちは小さなトラブルはあるものの、ひとりひとりが素直さをたっぷり表現していて、全体としても調和が取れているなあ、なんと素晴らしく幸せであることか、としみじみ思うのでした。

よく考え、よく遊び、よく学び、試行錯誤を繰り返し、向上心を忘れず、人として、札幌サドベリースクールとして成長していきたいと思う3年目の夏休みです。

【ごはんを作ること、食べること】

 

どうもこんにちは。
サドベリースクール給食スタッフの高橋宗一郎です。
スクールページへの投稿は初めてです。はじめまして。
調理師、管理栄養士として、子どもとスタッフに料理を作っています。

現在のスクール発足から2年が経ち、現在3年目。
……改めて考えると驚いてしまいます。
週3回の給食といえども、結構な品数を作った気になりますね。

今回は札幌サドベリーの給食について、色々書きたいと思っています。

・食材
何が安全か、何を安心とするか……そう考え始めると、
自分の安全ボーダーラインを引くことでしか答えは出ないのだと思います。
農薬、遺伝子組み替え、飼料、放射能、添加物……
身体を作る食べ物。おいしいと安心はどちらが欠けてもいけないですね。
・肉、野菜の産地は基本的に北海道(冬は九州産割合増)
・調味料等の製造所は北海道か兵庫以西
・干ししいたけは九州産
・きのこ、遺伝子組み替え作物は使わない
・牛乳は検出限界の低い装置で放射能検査をしている業者のものを使用
・牛肉はオーストラリア産
給食は、こんなことに配慮しています。
やりすぎと思う人、緩すぎと思う人が、きっとたくさんいるでしょうが、
これが今のところの基準です。

・調味料
手前みそになりますが、札幌サドベリーの調味料はスゴいです。
本物の醤油、本物のみりん、本物の酢、本物の油……。
そして味噌はスクールで仕込んだ自家製。
僕がいつも注文するみりんは、佐賀産米、福岡産焼酎を使った神戸製造のみりんなのですが、
少し料理に加えるだけで味に深みと奥行きが出て、ぐっと美味しくなるのです。
このみりんと出会う前は精製度の低い砂糖を使っていたのですが、
一度良いみりんを使ってしまうと、砂糖では出ないコクが生まれるのでやめられなくなります。
こうした調味料はスクールの負担で買わせてもらっています。
札幌サドベリーがどれだけ「食」を重要視しているのか分かって頂けるのではないでしょうか。

・アレルギーと体質
スクールには、体質的に豚肉が苦手だったり、肉の脂身が苦手という子がいます。
だいぶ良くなりましたが、卵アレルギーの子もいます。
給食はなるべく皆と同じものを食べてほしいので、
例えば麻婆豆腐の時などは豚肉入りと鶏肉入りの両方を作ります。
親子丼のときは、半熟卵のものと、しっかり火を通したものを作ります。
そうしていると、豚肉と鶏肉を半分ずつお皿に盛る人もいたり。

・作り手の想い
料理というのは不思議なもので、作った人の心や身体の状態を反映しますね。
余裕がないときに作ったものは大雑把な味になってしまったり、味がまとまっていなかったり。
科学的な視点で見ると、複雑でありながらも多くを科学や物理学で説明出来るはずなのに、
作り手の「気持ち」が、料理の味や相手の心に与える影響は計り知れません。
僕はそれを分かった上で料理することを心がけています。
どんなに忙しくても、一旦心を落ち着けること。
誰がどんな風に食べるのか、ちゃんと思い浮かべること。
もちろん、いつも全員が「おいしい」と言うわけではないです。
最近ではゴーヤチャンプルーの感想も真っ二つに分かれました。
苦い、辛い、くさい、そんな好みは千差万別ですから。
でも、もっと根本的なところで「おいしい」と思える味、
安心できる味を目指して、今も修行中です。

そして旬や季節感も大切にしたいと思っています。
いつでも、何でも食べられる現代で、本当の旬を知るのは難しいですね。
そして北海道は本州と旬が少し違います。
九州から新たまが入り始める頃、
北海道では冬を耐え抜いた越冬きゃべつや越冬ほうれんそうが出てきますから。
新たま?新じゃが?そんなの秋だよ。って。
もちろん、日本全体の旬も大切ですし、新たまのみずみずしさも好きです。
でも北海道に住んでいるんだから、北海道の旬を覚えてほしいという気持ちもあります。
特に北海道の春や夏は短いですからね。

スクールはもうすぐ夏休み。
休みに入る前にザンギを作らなくては……と思う今日この頃。
最近の札幌は連日30℃超えでバテ気味ですが、子どもは元気ですね。
暑さに弱い道産子筆頭の宗一郎でした。

 

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子供たちの詩

こんにちは!
札幌サドベリー国語科の水緒(ミオ)先生です。

6月3週目の国語科では、子どもたち全員の合作ではじめて「詩」を作ることに挑戦しました。

いきなり「詩を書きましょう」と言われた時に「はて?」と黙り込んでしまったとしても無理はありません。大人だってそうなるのは珍しいことではありません。大丈夫。いいんです、それで(^^)

まずはえんぴつを握る前の作業に参加してみること、そしてめいっぱい楽しむこと。(ついでに作品が完成したら儲けもの!)

その状態に、ちょっとしたゲームを取り入れてみたころ、「詩作」が一気に「わが事」「自分事」となった様子が見てとれました。

そのうちに「これなら『おかあさん』以外でも、なんの題名でも思いついちゃう!」「ここは平仮名じゃなく漢字にしよう」という声が上がるようになってきました。

一歩踏み込んだ直喩表現が出てきたり、2連目以降を担当した子たちがごくごく自然に韻を踏んでいたり・・・はじめてとは思えない本格的な推敲を重ねつつ短時間で2作品を作り上げ、最終的には詩からイメージした挿絵まで完成してしまいました。

授業のあまりの盛り上がり(興奮で騒がしくなったのです)に、今日は国語の授業を受けていなかった5年生の男の子が教室をのぞきに来て、「水緒ちん、今日こんなに楽しいことするって、なんで先に教えてくれなかったの!来週またやってね!僕も出るから。」とプンプンしていました(笑)ごめんね、また来週ね!

完成した詩は
「おかあさん」
「うんこ」
の2篇です。

「うんこドリル」が売れていることからもわかるように、「うんこ」の求心力(for 小学生)は著しいようですね(笑)ちなみに水緒先生も決して嫌いではありませんよ!

子どもたちが「プリントして読みたい」というので、タテ組みで構成してみました。スクールに貼り出して、保護者の皆さんに見てもらうのがとても楽しみです。

 

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